くしきのかるた

くしきのかるた – 公益社団法人串木野青年会議所

くしきのかるた あ行

アジアに開け 串木野新港

串木野あ串木野港は、その用途で3つに分けられます。

小型船用の内港、大型船用の外港、 商船や旅客船を扱う新港の3つです。

串木野 市内の港は、この他に小瀬港、島平港、羽 島港、土川港があります。

1トンから石から 金7g

串木野い金の採掘は古くは生福地区の芹場で 江戸時代の万冶3年(1660年)の頃より始まっています。

1tもの重さの金鉱石 からわずか7gの金しか採取されません。

金の採掘は機械のなかった時代では、それだけ大変な仕事だったことでしょう。

うしがそどすっ ガウンガウン祭り

串木野う野元の深田神社で年1回旧暦の2月2日に、 豊作を祈る祭りとして行われます。

田植えの様子をテチョと呼ばれるお父さん役と、 子供役の太郎・次郎、牛に扮した人によって寸劇が繰り広げらます。

笑顔でだいやめ もう一杯

串木野えだいやめと家族の笑顔はお父さんの明日への活力。

焼酎王国鹿児島ならではの風習かも 知れませんが、晩酌をしてだれ(疲れ)を 止めさせるというのが、語源でしょう。

ちなみに、だいやめの時に食べるつまみをシオケといいます。

おいつけおいこせ 浜競馬

串木野お馬が農耕や荷馬車として活躍していた頃、 荷馬車組合が馬自慢で競馬をしたのがきっかけ。

昭和32年から毎年4月中旬頃、照島海岸でおこなわれ、今では多くの見物客を集める串木野の名物行事に なっています。

 

くしきのかるた か行

香りさわやか サワーポメロ

串木野かサワーポメロは古くから鹿児島にある 文旦(ボンタン)の一種です。

もともと大橘という名前だったのを、昭和60年に全国に募集して「サワーポメロ」に改名 しました。

現在は市内の小学校の給食のメニューにも なっています。

きれいな夕日 長崎鼻

串木野き長崎鼻には全国でも珍しい海水プールが 作られています。

なんといっても夕日がきれいで、地元を離れた人が串木野に帰って来た時に、串木野に帰ってきたなあと実感する場所のひとつです。

串木野の味 つけあげ

串木野く今から約140年ほど前、島津藩が琉球文化 との交流の中に食文化にも影響を受け、魚肉のすり身をでんぷんと混ぜ合わせて油で あげた「チキアギ」なるものができました。

それがなまって今の「つけあげ」になりました。

串木野はつけあげ発祥の地といわれています。

元気におはよう 串木野市民

串木野け1日は「おはよう」ではじまります。

大きな声で元気よくあいさつすると、その日を気持ちよくスタートする事が出来るでしょう。

家でも、学校でも元気よくあいさつをしましょう。

洪水防ぐ 串木野ダム

串木野こ「串木野ダム」は、洪水調節を目的に昭和46年(1971)に完工しました。

最近では、ダムの持つ水・土地や空間を 生かした観光利用もされています。

春には桜が咲き、とてもきれいです。

 

くしきのかるた さ行

三大砂丘の吹上浜

串木野さ吹上浜砂丘は、日本三大砂丘のひとつで吹上浜県立自然公園であり、照島海岸は その最北端に位置します。

陣笠かたどる ドリームキャノピー

串木野し「串木野さのさ」を踊るときに用いる編み笠をモチーフにデザインされたアーケードの屋根。

平成3年7月に完成し、名称は全国からの公募で決まりました。

さのさ祭りの市中流しの中心になっています。

相撲甚句で 大漁祈願

串木野す漁船の大漁と航海の安全を願う『漁願相撲』という 行事がありました。

そこで唄われたのが、相撲甚句。

踊りと一緒に披露されますが、人数が決まっており、 選抜されるだけにみんな競い合って唄っていました。

西郷どんもつくった 万福池

串木野せ弘化四年(1865)、薩摩藩直営の工事で 西郷隆盛は書役助としてこの事業に 加わりました。

羽島の47haの田んぼを潤すための灌漑用の池。

空までとどく 弁財天

串木野そ羽島北部に位置する串木野で一番高い山で、 標高519.1mにもなります。

お正月に初日を拝みに行ったりと地元の人に親しまれています。

その名の通り「弁財天」という女性の神様を まつってあります。

 

くしきのかるた た行

鯛も釣れるよ 沖ノ島

串木野た串木野中心部より西北西に浮かぶ無人島。

野生化したニホンザルが生息し、灯台が船に航路を知らせてくれます。

近辺では、イシダイ・クロダイ・チヌ・イサキなど、多種多様の魚が釣れます。

通称:猿ヶ島

中国庭園 冠嶽園

串木野ち徐福の伝説が残され、古代山岳仏教の地である冠岳は、中国とゆかりの深い場所である事から、より一層の友好関係を深めたいとの願いからつくられた中国庭園です。

ついほろり 串木野さのさ

串木野つ民謡「串木野さのさ」は、大正の頃に串木野の漁師達が朝鮮沖に出漁し、長崎県五島の 「さのさ節」を元に唄い伝えられたと言われています。

そのさのさのもつ調べが、串木野の港町特有の風土に合い、独自の哀しさをおびています。

天狗どんはおそろしか ほぜ祭り

串木野て「ほぜ祭り」は、島平に伝わる秋の大祭で、旧暦の九月九日に行われます。

その年の豊作・大漁に感謝し、翌年の豊作・大漁の祈願、又子供達の健康を願って、天狗さんを先頭にみこしを担いで、まちを練り歩きます。

 陶工渡来 本壷屋跡

串木野と島津義弘・忠恒(後の家久)父子は文緑・慶長の役の後の慶長3年(1598)12月、朝鮮の陶工70余名を鹿児島に連れてきました。

その際、ここ串木野にも朝鮮の陶工、43名が上陸し、串木野市下名字本壺屋(もとつぼや)周辺で焼物を始めました。

 

くしきのかるた な行

ないちょうかいもう 八坂山

串木野な大正13年(1924)に商売繁盛を願い、京都八坂神社のご神体を分けてもらい祭ったのが八坂神社です。

大正15年(1926)に市来の人々から指導を受け、祇園祭が始まりました。

「あー、ないちょうかいもう」という掛け声と太鼓をたたきながら練り歩く祭です。

二本差しから 左官ゴテ

串木野に明治維新に武士達が職を失い左官業になった人達もいました。

その仕事に誇りを持ち後世に伝えようと左官踊りが生まれたと伝えられています。

現在は土川こども会が伝承されています。

ぬくもり感じる 母の味

串木野ぬ普段お母さんが作ってくれるご飯ですが、感謝の気持ちをこめて「いただきます」と「ごちそうさま」は忘れずに言いましょう。

そして、大人になり母の味をなつかしく思う時が来るでしょう。

願いを込めて 太郎太郎まつり

串木野ね「太郎太郎まつり」は、羽島﨑神社で旧暦二月四日に行われます。

地区をあげて豊作と豊漁を祈る祭りで、神前の広場で「五つ祝い」という特色ある祭りが行われます。

農家の五つになった男の子は「田うち」に、漁家の男の子は「船持ち」の行事に加わります。

 望む海原 東シナ海

串木野の串木野市は、海は東シナ海、陸地は北は川内市、東は薩摩郡樋脇町、南は日置郡市来町に隣接し、北緯31度42分30秒、東経130度16分27秒に位置します。

東シナ海は、対馬海流が流れ水産資源が豊富な海です。

 

くしきのかるた は行

羽島の文豪 万造寺斉

串木野は明治19年7月29日、羽島に生まれました。

若くして与謝野寛の門下生となり、石川啄木、高村光太郎、北原白秋らと交流を深めました。

大正6年に東京から京都に移り住み、その後昭和32年結核によって70歳の生涯を閉じるまで多くの作品を残しました。

光飛び交う 荒川川

串木野ひ長さ約6Kmで荒川地区を流れる清流。

周辺の田畑を潤し、ホタルが数多く生息しています。

ホタルが見れる時期には、多くの人が訪れ、ほのかな光が人を癒してくれます。

また、河口では、サーフィンやボディボードが楽しめます。

不老不死の 薬草求めて冠嶽山

串木野ふ西暦紀元前210年頃、中国の秦の始皇帝の使いで不老不死の薬草を求めて日本に来たとされています。

日本各地に徐福伝説は存在しますが、徐福が中国に不老不死の薬を持ち帰ったという記録は 残っていません。

平和を結ぶ姉妹都市 サリナス

串木野へ1979年、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサリナス市と姉妹都市盟約を締結し、両市の親睦を深めています。

これは、戦後に多くの串木野市民がサリナス市に移住したことによるものであり、 今でも交換留学生などの活動が続いています。

レタスの産地として有名です。

豊作まつる 田の神さあ

串木野ほ「田の神さあ」は、鹿児島の庶民の信仰で、一族の繁栄や豊作を祈るシンボルとして、昔から農民に崇められてきました。

作られた時期や場所によってさまざまな形があり、大切にする意味で顔を白く塗ったりしてあります。

 

くしきのかるた ま行

まぐろを追いかけ 世界の海へ

串木野ま串木野は、全国で2番目にまぐろ延縄漁船の多いところです。

今日も世界の海でマグロを追いかけている串木野の船は60隻以上です。

《主な漁場》南アフリカ沖、オーストラリア沖、 インド洋、太平洋、大西洋

みんなで守ろう五反田川

串木野み串木野で一番大きな川で、長さは11Kmです。

薩摩郡樋脇町の野下を源流とし、支流に宇都川、金山川、深田川をもち、田畑を潤す灌漑用水 として、また水道の水源として大事な川です。

いつまでも美しい川に保ちましょう。

むすぶ鉄道 長谷場純孝

串木野む明治の後期に衆議院議員として活躍した人。

中でも西薩鉄道(川内線)を通す為や、また旧国鉄(今のJR)についても多大なる功績を 残されました。

現在はその功績を讃え串木野駅に胸像が建立されています。

目印はアンテナ4本 テレビ塔

串木野め串木野の平江と深田との間にる標高240mの山で、山頂にテレビの中継塔が建っている所からテレビ塔という愛称で親しまれています。

毎年元旦になると初日の出を見にたくさんの人が訪れます。

もしもの時の 地下備蓄

串木野も串木野国家石油地下備蓄基地は串木野郊外の丘の岩盤の地層にトンネルを掘り、175万KLの石油を貯蔵しています。

この備蓄量は全国の石油消費量3日分に相当します。

 

くしきのかるた や行

野菜もたっぷい がねん天ぷら

串木野やさつまいも・にんじん・ごぼう・しょうが等のせん切りを、小麦粉・卵・水・砂糖・醤油で作った衣に混ぜあわせ油で揚げたもの。

揚げた形が、がね(蟹)に似ている所からそう呼ばれています。

また、各家庭で材料や味付けが違い、母の味のひとつにもなっています。

ゆうこちょ聞かな 面どんがでっど

串木野ゆ面どんとは、鹿児島弁でお面を被ったお化けの事を言います。

子供が言う事を聞かない時に、親が叱り文句にしばしば使っていました。

夜もきれいな ロータリー

串木野よ戦後の復興事業による都市計画が実施され、県内でもめずらしいロータリーを中心にした放射状の道路がつくられました。

以前はフェニックスなどが生い茂る緑地でしたが、平成4年8月にロータリー噴水として生まれ変わり 、夜にはライトアップされてとてもきれいです。

 

くしきのかるた ら行

ラスト(終点)は鹿児島 ルート3

串木野ら国道3号線は、福岡県北九州市から鹿児島県鹿児島市までを結ぶ、399.7kmの国道です。

串木野での工事は、明治19年に始まり、20年に開通しました。

串木野市内を南北に縦断し、芹ヶ野から八房までの距離は9.1Kmになります。

りっぱな大木 うっがんどんの森

串木野り「うっがんどん」とは、氏神様がなまったもの。

大昔の人びとは、それぞれの一族の氏神を祭り、その周囲の樹木を神木としてあがめてきました。

この森は、戦後の都市計画で取りこわされそうになりましたが、この一画だけ残されました。

瑠璃色かわいい 三色すみれ

串木野る市木-ハマヒサカキ 春の市花-パンジー、秋の市花-サルビア(いづれも昭和49年8月制定)

国民体育大会(太陽国体)の相撲競技大会の会場になった当時は、サルビアが市内に咲き乱れていました。

黎明の地羽島 英国めざす19人

串木野れ慶応元年(1865年)3月、羽島から五代友厚ら薩摩藩士の若者19名が、薩摩藩最初の留学生としてヨーロッパに渡りました。

その後それぞれ欧州で産業や文化等を学び、 それぞれの分野で日本の先駆け的役割を果たし、大きな功績を残しました。

六月灯で 暑気ばらい

串木野ろ六月灯は、その昔島津のお殿様の霊を弔う燈籠上げに始まり、しだいに派手な夏祭りとなって各地に広まっていきました。

今でも、旧暦の6月頃県内各地で行われれています。

 

くしきのかるた わ行

私の名前は 串木野三郎

串木野わ串木野(櫛木野)城は串木野三郎忠道が、1220年頃築城したといわれ、鎌倉~室町時代のはじめまで串木野氏の居城でした。

地名の由来は、宗社猪田神社の神がこの地に来た時に、大きな臥木が横たわり、 朝見ると跡形もないので不思議(臥木ふしぎ) ともらした事など諸説があります。

心を合わす 2万7千

串木野を串木野市人口の推移

昭和10年(町制施行)24,637人
昭和25年(市政施行)33,884人
昭和40年31,781人
昭和55年30,747人
平成2年29,385人
平成14年27,031人

んではじまる んだもしたん

串木野ん“ん”で始まる言葉は全国探しても鹿児島だけかも知れません。

びっくりした時に使う方言の一種です。

ちなみに、んだもこらいけなもんな~で 始まる『ちゃわんむしの唄』も、 “ん”で始まる歌として全国でも珍しがられています。

この記事をシェアするShare on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn